小松左京 年譜
 
1931年(昭和六年)
一月、大阪市西区京町堀、すなわち西船場に生まれる。本名・実。父は理化学機械商を営む。五男一女の次男。
 
1935年(昭和十年) 四歳
兵庫県西宮市夙川に転居。
 
1936年(昭和十一年) 五歳
阪急夙川駅東側の若松町に転居。
 
1937年(昭和十二年) 六歳
四月、西宮市立安井小学校入学。時局がら、卒業する時には「小学校」が「国民学校」に変わっていた。
 
1943年(昭和十八年) 十二歳
四月、兵庫県立神戸一中に入学。“空腹と暴力”の中学校生活をおくる。
 
1945年(昭和二十年) 十四歳
八月、勤労動員先の造船所で終戦を知る。
1946年(昭和二十一年) 十五歳
後年俳優になる高島忠夫らと軽音楽バンド「レッド・キャッツ」を結成(担当はバイオリン)、ダンス・パーティなどで演奏する。(〜47年)
神戸一中文芸誌『神中文藝』にユーモア小説寄稿。演劇部を作る。
 
1948年(昭和二十三年) 十七歳
四月、旧制第三高等学校入学。「わが人生“最高の日々”」を過す。が、三年間あると思われたこの「青春の休暇」も、学制改革のため、わずか一年で終わる。
1949年(昭和二十四年) 十八歳
三月、三高卒業。
七月、新制京都大学受験。このころ、友人の影響で「発作的左翼学生」となる。
九月、新制京都大学文学部に入学。この年の入学試験及び入学は、学制改革のため変則的なものとなった。
十一月、友人が判子を偽造して青年共産同盟に登録。
十二月、学内の文学同人誌「京大作家集団」に参加。高橋和巳、三浦浩らと知り合う。特に高橋とは、在学中無二の親友として交友する。
このころ同人誌の資金稼ぎに“モリミノル”の筆名で、大阪・不二書房より『イワンの馬鹿』『大地底海』『ぼくらの地球』の三冊のマンガを発表する。
1950年(昭和二十五年) 十九歳
一月二十五日、朝日新聞に「赤本に抗して京大生の傑作が世に」と、モリ・ミノルの科学漫画『ぼくらの地球』が紹介される。
四月、共産党の党活停止処分。
1951年(昭和二十六年) 二十歳
四月、専門課程(イタリア文学科)に進学。「作家集団」以降卒業までに「土曜の会」「ARUKU」「現代文学」などの同人誌に参加。
十二月、『土曜の会』第二号に短篇『子供たち』を書く。
1952年(昭和二十七年) 二十一歳
十月 高橋和己、近藤龍茂、宮川裕行と同人誌『現代文学』創刊。そこで高橋和己は『捨子物語』を書き始め、小松実は実体験に基づいた未完の長編『裏切』を書くが、創刊号のみで廃刊。理由は、「売れなかったから」。195頁100円。
1953年(昭和二十八年) 二十二歳
十一月 「土曜の会」から発展した「ARUKU」第八号に短篇『慈悲』を書く。
1954年(昭和二十九年) 二十三歳
三月、一般教養の数学と体育理論の単位を落としたため、五年かかって京大を卒業。卒業論文にはピランデルロをとりあげる。
十一月、三浦浩の紹介で、経済誌「アトム」の記者に就職する。最初はカット書きとしてはいるが、後にほとんどの記事を書き、編集まで任される。
1955年(昭和三十年) 二十四歳
六月、『ARUKU』第九号に短篇『最初の悔恨』を書く。この作品は後に『握りめし』に改題して『別冊小説新潮』に掲載。
1956年(昭和三十一年) 二十五歳
一月号『アトム』創刊号発刊。六月号からマンガ欄設ける。
十月。高橋和巳、北川荘平らと同人誌『対話』を創刊。創刊号で小松実は巻頭論文『文学の義務について』と短篇『溶けゆくもの』を書く。
「“哲学と文学”についてかんがくがくあるも稔り無し」。
1957年(昭和三十二年) 二十六歳
三月、『対話』第二号に短篇『失敗』を書く。
1958年(昭和三十三年) 二十七歳
十一月、下山克美と結婚。甲東園に新居。「アトム」を辞め、父親の経営する工場を手伝うが、工場は赤字続きで、苦しい生活が続く。
克美夫人の嫁入り道具だったラジオまで質に流してしまったと思い、何にも娯楽のなくなった新妻に読ませるために、ラジオ大阪の200字詰め原稿用紙(ペラ)に小説を少しずつ書いては机上に置いて出勤する毎日が続く。この小説が、のちの『日本アパッチ族』である。
1959年(昭和三十四年) 二十八歳
京都の工場社宅にすむ。ここでまたも会社はつぶれ、負債を返済しなければならなくなる。
ラジオ大阪の番組「いとし・こいしの新聞展望」(34年10月5日〜37年6月30日)で、夢路いとし・喜味こいしの演ずるニュース漫才の台本を担当。以後、足かけ四年に渡り、一万二千枚の台本を書く。その数か月前から、大阪産経新聞の翻訳ミステリ雑誌欄を担当。十二月、三浦浩に「SFマガジン」創刊号を紹介され、「巻頭シェクリイの『危険の報酬』を読んで眼をひっぱたかれたような気持ちに」なる。こうして「現代SFと持続的交渉をもつようになった」。
1960年(昭和三十五年) 二十九歳
九月長男誕生。 第一回SFコンテスト応募作品「地には平和」を執筆。(住所は西宮市で応募)
1961年(昭和三十六年) 三十歳
八月、『SFマガジン』主催第一回SFコンテスト「空想科学小説コンテスト」にペンネーム小松左京で応募した『地には平和』が選外努力賞を受賞する。賞金五千円。この作品は『SFマガジン』には掲載されず、のちに同人誌『宇宙塵』六三号(六三年一月)でやっと陽の目を見る。それ以後『宇宙塵』『NULL』に参加する。
十月から 産経新聞に週一回「テレビ評定」(署名K.O.)執筆。
1962年(昭和三十七年) 三十一歳
三月から「テレビ評定」が「やぶにらみ」となって、65年一月まで執筆。(署名は小松実)
十月、「SFマガジン」への投稿作品「易仙逃里記」が同誌に掲載され、小松左京として商業誌デビューする。大阪新聞「セミ・フィクションストーリー」欄に翌年3月まで牧慎三名で執筆。
十一月、『団地ジャーナル』に連載開始。産経新聞「のぞきメガネ」「ブラウン管」「テレビ」欄に四方左京、牧慎三、小松実名で執筆。
十二月、「終りなき負債」を『SFマガジン』に発表。前年に続いて行なわれた第二回SFコンテストにも応募していたのだが、その審査結果を待たずに『SFマガジン』の“常連”となる。同号で第二回SFコンテスト結果発表。応募作「お茶漬の味」が、半村良「収穫」と共に第三席に入賞(第一席、第二席とも該当作なし)。賞金各三万円。(住所は伊丹市稲野の文化住宅)
1963年(昭和三十八年) 三十二歳
一月、『SFマガジン』に「お茶漬の味」掲載。以後、ほぼ毎月のように同誌に作品を発表する。
三月、SF作家クラブ発足。当初から参加する。
五月、『オール読物』七月号に「紙か髪か」を発表、中間小説誌初登場となる。掲載直後、読売新聞の大衆文学時評欄(5/31・6/1)で吉田健一にとりあげられ好評を得る。
八月、早川書房より処女短篇集『地には平和を』(地には平和を/終りなき負債/易仙逃里記/釈迦の掌/蟻の園/コップ一杯の戦争/失格者/時の顔/ホクサイの世界/お茶漬の味/紙か髪か)を刊行。収録作品中「地には平和を」と「お茶漬の味」の二篇が第五〇回直木賞(昭和三八年度下半期)候補作となる。
九月、放送朝日に「エリアを行く」連載開始(〜66年)
十月、次男誕生。この年、父親の工場閉鎖。
1964年(昭和三十九年) 三十三歳
二月、サントリー広報誌『洋酒天国』61号に「さとるの化物」掲載。
三月、処女長篇『日本アパッチ族』を光文社より刊行。
四月、早川書房より第二短篇集『影が重なる時』(影が重なる時/さとるの化物/カマガサキ二〇一三年/サラリーマンは気楽な稼業……/痩せがまんの系譜/墓標かえりぬ/三界の首枷/花のこころ/御先祖様万歳/遺跡/女か怪物{ベム}か/さんぷる一号/ダブル三角/墓場での会合/お召し/火星の金/恵みの糧/恥/自然の呼ぶ声)を刊行。
七月「万国博を考える会」発足。「エスパイ」を『漫画サンデー』に連載開始(〜十月)。
八月、早川書房より書き下ろし長篇『復活の日』を刊行。
十月、ラジオ大阪で桂米朝師匠と「題名のない番組」はじめる。夜十一時から三十分の番組で、師匠とのおしゃべりと投稿川柳の構成。「三円乞食」の異名を得る。のち、京都放送にうつって、通算15年ほどつづく。
1965年(昭和四十年) 三十四歳
一月、『週刊現代』に「明日泥棒」連載開始(1/1〜7/15号)。
六月、早川書房より長篇『エスパイ』を刊行。
七月、『SFマガジン』に“まき・しんぞう”名儀で「五月の晴れた日に」を発表、「作者はブルドーザーの運転手」と紹介される。短篇集『日本売ります』(物体O{オー}/哲学者の小径{フイロソフアーズ・レーン}/召集令状/新趣向/ぬすまれた味/四次元トイレ/忘れられた土地/正午にいっせいに/仁科氏の装置/適応/SOS印の特製ワイン/日本売ります/海底油田/わびしい時は立体テレビ/愚行の環/ホムンよ故郷を見よ)を早川書房より刊行。
十一月、講談社よりSFルポ『地図の思想』(原題「エリアを行く」)を刊行。
十二月、講談社より長篇『明日泥棒』を刊行。
この秋、はじめての海外旅行、一人でニューヨークへの「一泊」旅行をする。
NHKテレビでアニメと実写の合成ドラマ「宇宙人ピピ」放送開始。鈴木出版より絵本として出版される(文・工藤桂子、絵・工藤市郎)。
1966年(昭和四十一年) 三十五歳
四月、「ゴエモンのニッポン日記」を『アサヒグラフ』に連載開始(〜九月)。
六月、早川書房よりショートショート集『ある生き物の記録』(誤解/公社計画/きつね/たたり/モデル/秘密計画/超人の秘密/交通停滞/観月譜/伝説/かえって来た男/SF番組/幽霊屋敷/胎内めぐり/遺産/沼/倒産前日/風俗バー/故障/施餓鬼/黒いカバン/初夢/鏡の中の世界/遠い国から/三本のスキー/蜘蛛の糸/牛の首/冷蔵庫の中/夏の終り/信仰/新都市建設/地下道/お花見園/無実の罪/新型貯金箱/奥様トルコ/期待はずれの人間像/標準化石/賄賂法案/いかもの食い/空中住宅/自信恢復/工事/白い部屋/失われた宇宙船/超能力者/早とちり/青空/見知らぬホテルにて/深夜放送/いっせい違反/回向/見すてられた人々/野の仏/できそこない/お仲間入り/星野球/新幹線/十一人/月よ、さらば/星碁/けだものたち/都市病/夏の行事/順送り/ある生き物の記録/子供の神様/昔の義理/事故/去り行く/幽霊星)を刊行。
七月、早川書房より長篇『果しなき流れの果に』を刊行。
九月、講談社よりエッセイ集『未来図の世界』を刊行。
十一月、講談社よりSFルポ『探検の思想』(原題「エリアを行く」のつづき)を刊行。
十二月、講談社より“ゴエモン”を狂言回しにしたSFルポ『ゴエモンのニッポン日記』刊行。
「万国博とは何か」を視察する二〇人ほどのツアを引率して棹梅忠夫氏らとアメリカへ。
1967年(昭和四十二年) 三十六歳
三月、講談社より『明日泥棒』(ロマンブックス版)を、盛光社よりジュヴナイル短篇集『見えないものの影』を刊行。
六月、講談社よりエッセイ集『未来怪獣宇宙』を刊行。
七月、早川書房より短篇集『生きている穴』(本邦東西朝縁起覚書/黴/比丘尼の死/アダムの裔/おえらびください/宗国屋敷/サテライト・オペレーション/消された女/彼方へ/秘密製品/煙の花/腐蝕/生きている穴/石/オルガ)を刊行。
九月、話の特集編集室より短篇集『ウインク』(ウインク/イワンの馬鹿作戦/おえらびください/手おくれ/TDSとSDの不吉な夜/おちてきた男/地球になった男/時魔神/日本漂流/彼方へ/*◎ ▲は殺しの番号/ヤクトピア)を刊行。
十一月、早川書房より短篇集『神への長い道』(HE・BEA計画/極冠作戦/五月の晴れた日に/神への長い道/人類裁判/怪獣撃滅/返還/高みに挑む/面従腹背/辺境の寝床/四次元ラッキョウ/おやじ)を、同月、中央公論社(中公新書)より評論集『未来の思想』を刊行。
十月から翌年九月まで「旅」取材。掲載は68年一月号から十一月号。
1968年(昭和四十三年) 三十七歳
四月、徳間書店より短篇集『模型の時代』(模型の時代/運命劇場/子供たちの旅/くだんのはは/幽霊時代/完全犯罪/夢からの脱走/なまぬるい国からやって来たスパイ/SEXPO'69/汚れた月/交替/売主婦禁止法)を刊行。
十一月、早川書房より短篇集『飢えた宇宙{そら}』(せまりくる足音/夜の声/飢えた宇宙{そら}/卑弥呼/女狐/米金闘争/宇宙{そら}に嫁ぐ/宇宙鉱山/再開/四ツ矢怪談/聖六角女学院の崩壊/ごきぶり退治/機械の花嫁/偉大なる存在/廃墟の彼方/戦争はなかった/二〇一〇年八月十五日)を刊行。
「未来学研究会」が発展して日本未来学会設立。
レニングラードに一泊してソ連作家同盟と会う。ベルリン、コペンハーゲン、ワルソーを旅。
1969年(昭和四十四年) 三十八歳
二月、講談社よりジュヴナイル連作短篇集『空中都市008』を刊行。NHKで人形劇シリーズになる。
三月、文藝春秋より長篇『見知らぬ明日』を刊行。
四月、『蛍雪時代』四月号より十一月号まで「やぶれかぶれ青春記」連載。
五月、ワコール主催のハワイ太平洋レディス・カレッジの講師としてプレジデント・ウィルソン号に乗って横浜港からハワイへ。荒垣秀雄、結城昌治、柳原良平、川添登、水野正男、栗田勇らと100人の女性との洋上大学。
十月、読売新聞社より『エリアをゆく』の流れをくむSFルポ『日本タイムトラベル』を刊行。
この頃『空中都市008』ます美書房より絵本として出版(ます美のSFえほん:文・高垣葵、絵・虫プロ)。
1970年(昭和四十五年) 三十九歳
三月、大阪・千里で行なわれた日本万国博覧会“EXPO'70”でサブ・テーマ委員、テーマ館サブ・プロデューサーを務める。立石一眞氏よりICチップを見せてもらう。
四月、国際未来学会開催(京都国際会館)。「青い世界の冒険」連載開始(〜十二月『中一計画学習』新学社)
五月、早川書房より短篇集『星殺し{スター・キラー}』(星殺し{スター・キラー}/兇暴な口/黄色いねずみ/午後のブリッジ/危険な誘拐/会合/割れた鏡/穴/そして誰もしなくなった/船と機雷/袋小路)を、新潮社より短篇集『闇の中の子供』(涅槃放送/第二日本国誕生/養子大作戦/恋と幽霊と夢/少女を憎む/長生きの秘訣/闇の中の子供/犬/ハーモニカ/変貌)を、読売新聞社より評論・エッセイ集『ニッポン国解散論』を各々刊行。
六月、早川書房より『世界SF全集第二九巻・小松左京篇』(継ぐのは誰か?/果しなき流れの果に)を刊行。
八月、米・英・加・ソ・セイロンからSF作家を招き、東京と名古屋、大津で国際SFシンポジウムを主催。参加した作家はA・C・クラーク、J・メリル、F・ポール、B・オールディスほか、日本からも多数参加する。大阪万博会場を案内。
十二月、立風書房より短篇集『三本腕の男』(時間エージェント/三本腕の男/フラフラ国始末記)を、毎日新聞社よりジュヴナイル長篇『宇宙漂流』を各々刊行。年末から翌年正月にかけて二週間余、星新一氏とオランダ旅行。『文藝春秋』十月号に「オランダ式弱気のすすめ」として寄稿。
この年、イーデス・ハンソン、高田好胤と、グアム島へ慰霊の船旅。
1971年(昭和四十六年) 四十歳
『放送朝日』一月号より対談「地球を考える」シリーズ開始(〜十二月号)
三月、徳間書店より短篇集『青ひげと鬼』(木静かならんと欲すれど……/静寂の通路/海の視線/青ひげと鬼/愛の空間/失業保険/さらば幽霊/ムカシむかし……)を刊行。
四月から五月に星新一、高松繁子とKLMでオランダ旅行。
六月、立風書房より短篇集『最後の隠密』(東海の島/竜虎抱擁/南海太閤記/ぬけ穴考/最後の隠密/昔の女/まめつま/イッヒッヒ作戦/四月の十四日間)を刊行。『文藝春秋』六月号に「オランダ式弱気のすすめ」を寄稿。
八月、ハヤカワ文庫より『エスパイ』を刊行。この夏より「歴史と文明の旅」取材のためひと月おきに海外旅行。翌年『文藝春秋』一月号より十二月号まで連載。「継ぐのは誰か?」が第二回星雲賞長編部門賞受賞。
九月、角川文庫より『日本アパッチ族』を刊行。『現代』九月号より「日本イメージ紀行」連載開始(翌年三月号まで)。
十二月、新潮文庫より短篇集『地球になった男』(地には平和を/コップ一杯の戦争/紙か髪か/日本売ります/痩せがまんの系譜/御先祖様万歳/オルガ/ぬすまれた味/兇暴な口/地球になった男/蜘蛛の糸/沼/昔の女)を刊行。
1972年(昭和四十七年) 四十一歳
一月より十二月まで「現代の神話」を日経新聞に連載。
二月、早川書房より短篇集『牙の時代』(毒蛇/BS六〇〇五に何が起こったか/牙の時代/サマジイ革命/ト・ディオティ/小説を書くということは)を刊行。
四月、筑摩書房よりジュヴナイル長篇『青い宇宙の冒険』(原題「青い世界の冒険」)を刊行。
五月、鶴書房盛光社より新装版『見えないものの影』を、早川書房より長篇『継ぐのは誰か?』を、角川書店より短篇集『怨霊の国』(霧が晴れた時/保護鳥/安置所の碁打ち/怨霊の国/写真の女/女の手/失神時代/大混線/笹の花/靴屋の小人/かつがれ屋/人の波/幸福にも不幸にもならない手紙/知恵の木の実)を各々刊行。
六月、フレーベル館より書き下ろし童話『おちていたうちゅうせん』を刊行。この頃、「日本沈没」の原稿を光文社に入稿。
十月、早川書房より新装版『復活の日』を、角川文庫より短篇集『ウインク』を刊行。また新潮社より対談集『地球を考える(T・U)』を刊行。
十一月、白馬出版より紀行・エッセイ集『日本イメージ紀行』を、新潮社より短篇集『待つ女』(湖畔の女/待つ女/あれ/骨/先取りの時代/隆達小唄/短小浦島/講談アンドロメダ戦記/ヨタ・セクシュアリス)を、角川書店より短篇集『明日の明日の夢の果て』(炬燵の中の月/ふかなさけ/月のしのぶ/人魚姫の昇天/空のゆきずりに/告白/プライベート・マネー/こちら“生きがい課”/こちら“アホ課”/こちら“二十世紀課”/持ち出し通貨/黒いクレジット・カード/おみやげブーム/おちてきた男/レジャー地獄/公明選挙/土地と土/セックス・プレイヤー/ハレンチの果て/ZOTV騒動記/キチガイ日本/明日の明日の夢の果て)を各々刊行。
1973年(昭和四十八年) 四十二歳
三月、ハヤカワ文庫より『果しなき流れの果に』を刊行。同月、光文社より九年がかりの書き下ろし長篇『日本沈没(上・下)』を刊行。同書は同年末までに、上下巻合わせて四百万部を売る超ベストセラーになると共にTV化、ラジオ化、映画化、劇画化され、日本中を「沈没ブーム」に巻きこむ。第27回日本推理作家協会賞受賞作。同月、日本経済新聞社より『現代の神話』(山崎正和共著)刊行。同月、星新一、豊田有恒氏らと台湾旅行。
四月、新潮文庫より短篇集『アダムの裔』刊行。
五月、角川文庫より『明日泥棒』刊行。
六月、『終末から』創刊号で「おしゃべりな訪問者」連載開始(翌年六月・七号まで)。
七月、立風書房より新装版『三本腕の男』を、同月、ハヤカワ文庫より短篇集『時の顔』『御先祖様万歳』刊行。
八月、河出書房より短篇集『旅する女』(秋の女/旅する女/歌う女/黄色い泉/握りめし)を、同月、講談社文庫よりSFルポ『妄想ニッポン紀行』(『エリアをゆく』シリーズを一冊にまとめたもの)刊行。「結晶星団」が第四回星雲賞短編部門賞受賞。
十月、角川文庫より『見知らぬ明日』刊行。
十一月、早川書房より短篇集『結晶星団』(HAPPY BIRTHDAY TO……/失われた結末/タイム・ジャック/結晶星団)を、創樹社より評論・エッセイ集『未来からの声』を刊行。『女性自身』に「恋愛博物館」連載開始(11/3〜翌年1/2号)。
十二月、文藝春秋より紀行文集『歴史と文明の旅(上・下)』、平凡社より『百科事典操縦法』(梅棹忠夫・加藤秀俊共著)を各々刊行。同月、光文社の濱井氏とオーストラリア旅行。翌年の『小説宝石』三月・四月号に「奇妙な大陸・オーストラリア」として寄稿。
1974年(昭和四十九年) 四十三歳
一月、ハヤカワ文庫よりショートショート集『鏡の中の世界』を刊行。
二月、地球書館より『日本を沈めた人・小松左京対談集』を、同月、角川文庫より長篇『ゴエモンのニッポン日記』を刊行。
三月、ハヤカワ文庫よりショートショート集『ある生き物の記録』を、同月、講談社よりジュヴナイル・ショートショート集『宇宙人のしゅくだい』を刊行。
四月、新潮社より短篇集『春の軍隊』(小夜時雨/鷺娘/春の軍隊/共喰い/遷都/悪霊)を、同月、講談社文庫より短篇集『さらば幽霊』と紀行文集『続・妄想ニッポン紀行』(『日本イメージ紀行』と『日本タイムトラベル』を一冊にまとめたもの)、みき書房よりシンポジウム『性文化を考える』を刊行。
五月、新潮文庫より短篇集『戦争はなかった』、旭屋出版より根本順吉・竹内均・飯田隼人・立川昭二・西丸震哉と箱根富士屋ホテルに泊まり込んで行ったシンポジウムをまとめた『異常気象』を刊行。
六月、ハヤカワ文庫より『復活の日』、同月、角川文庫より『果しなき流れの果に』刊行。同月、五人の科学者とアイスランド旅行。『別冊小説宝石』十二月号と翌年六月号に「火の島・アイスランドにて」として寄稿。
八月、ハヤカワ文庫より長篇『継ぐのは誰か?』、同月、実業之日本社より短篇集『夜が明けたら』(夜が明けたら/空飛ぶ窓/海の森/ツウ・ペア/真夜中の視聴者/葎生の宿/秘密/長い部屋)刊行。『日本沈没』が第五回星雲賞長編部門賞受賞。
九月、ハヤカワ文庫より短篇集『蟻の園』刊行。
十月、角川文庫より短篇集『最後の隠密』刊行。
十一月、早川書房より四六判『エスパイ』を、地球書館より『野球戯評』(梅原猛・多田道太郎共著)、ハヤカワ文庫より短篇集『本邦東西朝縁起覚書』を各々刊行。
十二月二十五日からよく一月二十五日までTBSテレビ「パスポート4」取材で南極へ。
1975年(昭和五十年) 四十四歳
一月から広報誌『みつびし』に「民族の風景」連載(十二月まで)。
二月、旺文社文庫よりエッセイ集『やぶれかぶれ青春記』(神戸一中時代の思い出をメインとしたもの)刊行。
三月、新潮文庫より短篇集『闇の中の子供』を刊行。
五月、ハヤカワ文庫より短篇集『結晶星団』を、同月、角川文庫より短篇集『牙の時代』を刊行。
六月、新潮社より短篇集『無口な女』(流れる女/無口な女/こういう宇宙/応天炎上/おろち/蚊張の外/四次元オ  コ)を、
七月、筑摩書房より架空インタビュー『おしゃべりな訪問者』を、同月、ハヤカワ文庫より短篇集『神への長い道』を、光文社より定本『日本沈没』とエッセイ集『恋愛博物館』を刊行。
八月、新潮文庫より短篇集『時間エージェント』刊行。
十月、角川文庫より長篇『復活の日』を各々刊行。
十一月、『宝石』で「人間博物館」連載開始(翌年の十月まで)。
1976年(昭和五十一年) 四十五歳
一月、角川文庫から『見えないものの影』を、同月、新潮文庫から短篇集『夢からの脱走』、
二月、大和書房よりエッセイ集『男の人類学』を、同月、筑摩書房より新装版『青い宇宙の冒険』を刊行。
三月から九月広報誌『菱和』に「私流 比較日本学のこころみ」連載。
広報誌『本』四月号より「碩学に聞く」シリーズ開始(翌年十一月号まで)。
四月十九日から翌年一月二十二日まで朝日新聞夕刊に「こちらニッポン……」を連載。
五月、新潮社より短篇集『男を探せ』(薮の花/オフー/DSE=SJ/男を探せ/戻橋/行きずり/糸遊)刊行。
六月、角川文庫より中短篇集『宇宙漂流』刊行。、
七月、講談社文庫より紀行文集『歴史と文明の旅(上)』を各々刊行。
八月、講談社文庫より『歴史と文明の旅(下)』刊行。「ヴォミーサ」が第七回星雲賞短編部門賞受賞。八月十六日号から十月四日号の『週刊小説』に「題未定」連載。
九月、講談社学術文庫から『絵の言葉』(高階秀爾と共著)を、十月、文春文庫より短篇集『空飛ぶ窓』を各々刊行。
十一月、文藝春秋より短篇集『虚空{そら}の足音』(忘れろ…/うるさい!/逃{ふ}ける/逆臣蔵/お糸/予知の悲しみ/虚空{そら}の足音)を、同月、角川文庫より『青い宇宙の冒険』を各々刊行。HARPER & ROWから「日本沈没」英語版Japan Sinks発行。十一月十六日から翌年五月十四日まで報知新聞に「時空道中膝栗毛」連載。
1977年(昭和五十二年) 四十六歳
二月、実業之日本社より長篇『題未定』刊行。
三月、文春文庫より短篇集『夜が明けたら』刊行。
四月、徳間書店より短篇集『飢えなかった男』(飢えなかった男/出て行け!/迷い子/騒霊時代/明烏/高砂幻戯/乗合船夢幻通路/天神山縁糸苧環)を、同月、朝日新聞社より『こちらニッポン……』を各々刊行。
五月、「宇宙塵二十周年を祝う会(コスミコン'77)」を主催する。同月、徳間書店より新装版で『青ひげと鬼』『模型の時代』を、角川文庫より『継ぐのは誰か?』『エスパイ』を、講談社現代新書より評論集『日本文化の死角』を、
六月、角川書店より短篇集『ゴルディアスの結び目』(岬にて/ゴルディアスの結び目/すぺるむ・さぴえんすの冒険/あなろぐ・ら゛う)を、集英社文庫より短篇集『骨』(『ヴォミーサ』を初収録)を、光文社より座談会スタイルのエッセイ集『人間博物館』を各々刊行。
七月、新潮文庫より短篇集『物体O{オー}』刊行。七月十七日日本テレビでクレタ、サントリーニ取材の「アトランティス大陸の謎」放送。『別冊小説新潮』七月号から翌年四月号まで「空から墜ちてきた歴史」連載。学習院東洋文化研究所の特別研究員として「大正文化研究会」を開始。
八月まで神戸のサンテレビでホストとしてゲストと神戸の町を歩く番組「街角」放送していた。
九月、文藝春秋より長篇『時空道中膝栗毛』刊行。ALBIN MICHELより『日本沈没』のフランス語版La Submersion du Japon発行。
十月、角川文庫より短篇集『怨霊の国』
十二月、集英社文庫より短篇集『サテライト・オペレーション』、ハヤカワ文庫より短篇集『五月の晴れた日に』を各々刊行。
1978年(昭和五十三年) 四十七歳
日本テレビのドキュメンタリー「巨石文明の謎」シリーズでマヤに取材。
二月、ハヤカワ文庫より短篇集『偉大なる存在』
三月、「青い宇宙の冒険」の英語版絵本『Adventure in Blue Space』がティービーエス・ブリタニカよりジュニアジャンプリズム英会話として発行(英文・河合潤子、絵・小森誠)。
五月、角川文庫より短篇集『御先祖様万歳』及び『時の顔』発行 同月、大和書房より新装版『男の人類学』
六月、文藝春秋より短篇集『アメリカの壁』(アメリカの壁/眠りと旅と夢/鳩啼時計/幽霊屋敷/おれの死体を探せ/ハイネックの女)、同月、角川文庫よりショートショート集『鏡の中の世界』及び短篇集『神への長い道』発行
七月、鎌倉書房より対談集『21世紀学事始』刊行。七月十六日NTVで「マヤ文明の謎」放送。日本テレビ出版より『マヤ文明の謎』刊行。
八月、集英社文庫より短篇集『夜の声』を刊行。「ゴルディアスの結び目」が第九回星雲賞短編部門賞受賞。
八月と九月にわたり、講談社現代新書から『学問の世界ー碩学に聞く』上下(加藤秀俊共著)、
九月、星新一・筒井康隆とのシリーズ“アメイジング3{スリー}”の第一弾として、ビクターよりLP『宇宙{そら}に逝{ゆ}く』を発表。内容は、書き下ろしシナリオによる宇宙もののSFドラマ。同月、文春文庫より長篇『日本沈没(上・下)』を刊行。『SFアドベンチャー』創刊号に「とりなおし(リテイク)」掲載。『野生時代』に「劇場」掲載。通産省大臣官房企画室の肝いりで七六年から七八年まで議論した『紛争の研究』が農山漁村文化協会より刊行。
一二月、平凡社より会田雄次・山崎正和との鼎談『日本史の黒幕』刊行。
広報誌『季刊大林』NO.2に「比較門番学」掲載。ホテルプラザの事務所でワープロ一号機を試用。
1979年(昭和五十四年) 四十八歳
一月から翌年の一月まで『諸君』で「大正文化研究会」連載。
二月、初の書き下ろし狂言「狐と宇宙人」が花形狂言会によって初演される。朝日出版社から渡辺格との分子生物学講義『生命をあずける』を刊行。
三月、小松左京研究会の会報『臥猪庵通信』に「狐と宇宙人」の台本掲載。
四月、角川文庫より短篇集『旅する女』を、同月、新潮文庫より短篇集『春の軍隊』刊行。
五月、集英社文庫より、全篇初収録の“オリジナル文庫版”ショートショート集『一生に一度の月』(向かい同士/新施設/正月料理/南の国/上る/顔/霧の向こうの団地/ゴールデンウイーク/下品な連中/歌う空間/ミリイ/雪どけ/一生に一度の月/いたずら/幽霊/乗っ取り/イナバのシロウサギ10/秋の味覚/早すぎる賀状/足音/迷路/廃墟の星にて/手相/休養/海よさらば/やせたい王様/「ばあや」を探せ/人生旅行エージェント/昔の火/プレイバック/黄金色のスポーツカー/眠りたい!/創造の喜び/むすんでひらいて/仕事預けます/養老年金/再建)刊行。
六月、文春文庫より短篇集『流れる女』刊行。
八月、初の翻訳「ある“登場人物”の悲劇」(ピランデルロ作)を学研版『世界文学全集第四六巻・世界中短篇名作集』に発表。『SF宝石』八月号にアイザック・アシモフとの対談掲載。
九月、初の書き下ろし戯曲「オムニバスドラマ・三つの明日」が“小松左京ステージ・プロジェクト”によって初演される。同月、PHP研究所より評論集『地球社会学の構想』を刊行。日本テレビ出版より『イースター島の謎』刊行。『小説新潮』に「曇り空の下で」掲載。
十月、平凡社より会田雄治・山崎正和との鼎談『日本史の黒幕』、講談社より『野球戯評』刊行。
十一月、冨田勲のシンセサイザー・コンサート「エレクトロ・オペラin武道館」の企画構成を担当。五チャンネルのシンセサイザー・ミュージックにコンピュータ・アニメを組み合わせたショーである。同月、角川文庫より短篇集『模型の時代』を、集英社文庫より、“オリジナル文庫版”ショートショート集『まぼろしの二十一世紀』(さらば、貧乏神よ/お月見の前に/卵と私たち/オートナイ/人生保険/社内結婚/クロスカウンター/生きがい銀行{バンク}/中毒/誤配/消えた預金/落しもの/むかしばなし/スケールの問題/淫蕩の星/Dシリーズ/遺跡/正月日記二〇一X年/通天閣発掘/長い旅/ひきつぎ/あちらとこちら/トップレディむかしむかし/パパ/満腹の星/まぼろしの二十一世紀/高層都市の崩壊/ドーナツ/すぐそこ/都市を出る)を各々刊行。
1980年(昭和五十五年) 四十九歳
1月、『雨と、風と、夕映えの彼方へ』を「野性時代」に掲載。五月から「週刊サンケイ」に『さよならジュピター』を連載開始(82年一月まで)。
二月、文藝春秋から『華やかな兵器』(とりなおし{リテイク}/華やかな兵器/交叉点/反魂鏡/歩み去る/曇り空の下で/山姥譚)を刊行。
三月、集英社文庫より、“オリジナル文庫版”『猫の首』(日本脱出/拾われた男/女のような悪魔/異次元結婚/Mは2度泣く/出来てしまった機械/猫の首/大阪の穴)刊行。
五月、『大向こう』二号に「食い気と歌舞伎」掲載。
六・七月、「氷の下の暗い顔」を『野性時代』に発表する。
六月、映画「復活の日」公開。
七月、角川書店から『氷の下の暗い顔』(歩み去る/劇場/雨と、風と、夕映えの彼方へ/氷の下の暗い顔)を、平凡社からサイエンス・エッセイ『はみだし生物学』(七九年四月から八〇年三月まで『アニマ』に連載したもの)を刊行。『季刊大林』七号に「『道』との遭遇」掲載。
八月、大城のぼる作『火星探検』完全復刻版のため松本零士と対談「『火星探検』と昭和の漫画」。
九月、『大向こう」三号に「『一幕立ち見』のころ」掲載。「大阪に活力を求める会」を設立し広報誌『大阪に活力を』で岸昌、佐治敬三、山崎正和らと座談。同じく、久保修とも対談「芸術を育てる豊かな土壌はある」掲載。『日経ビジネス』九月二二日号に「情報機器未来論」掲載。
十月、「星仏」を『小説新潮』に発表。
1981年(昭和五十六年) 五十歳
一月、集英社文庫より、“オリジナル文庫版”ショートショート集『一宇宙人のみた太平洋戦争』(衝突/予夢/何でも見てやろう/《無題》/遺跡/よびかける石/役に立つハエ/もったいない/星からのお礼/高みに挑む/海底のおばけ/アリ/まいご/星の王子さま/一日一屁/もみじ/正午にいっせいに/船と機雷/江戸開城宇宙人観戦記/一宇宙人のみた太平洋戦争)刊行。
三月、『あやつり心中』を「小説現代」に発表。東京紀尾井町にあるホテルニューオータニのフォーラム一階に「エレクトロ オフィス」開設。パソコン、ワープロなどOA機器を使いながら、先端オフィスのモデルルーム機能も持つ(マイコン8ビットの時代)。
四月、文藝春秋からオーストラリア、南極、イースター島などの旅行記『遠い島 遠い大陸』を刊行。日本テレビのドキュメンタリーをまとめたムック『巨石文明の謎』(二月四日放送分)刊行。
六月、宇宙飛行士トーマス・スタッフォードとの対談「21世紀、宇宙へ広がる人類の生活圏」6月10日日経新聞に掲載。
八月、映画「さよならジュピター」製作のために株式会社イオ設立。
九月、『花型星雲』を「小説新潮」に発表する。
十月、徳間書店から『あやつり心中』(あやつり心中/犯人なおもて救われず/凶銃/星仏/試験もぐりの時代/正当防衛/花型星雲)を刊行。
1982年(昭和五十七年) 五十一歳
二月、『大坂夢の陣』を「オール読物」に発表。株式会社イオ、事務所を東京平河町に設置し、映画「さよならジュピター」のプレ・プロダクション開始。小松左京研究会のメンバーの中から、多くの「ジュピター・クンタ=キンテ」が生まれた。
四月、『さよならジュピター(上・下)』をサンケイ出版より刊行。
六月、集英社文庫より、語り起こしの『SFセミナー』を刊行。
十一月、集英社から書評をまとめた『机上の遭遇』を刊行。潮出版社から石毛直道との対談集『にっぽん料理大全』刊行。
日本で最初のコンピュータ・グラフィックスの国際会議「ニコグラフ82」開催に参画。
1983年(昭和五十八年) 五十二歳
四月、原作、製作、脚本、総監督として映画「さよならジュピター」クランクイン、
八月、「さよならジュピター」が第十四回星雲賞長編部門賞受賞。
十月に完成。
十二月一日から『首都消失』を「東京新聞」に連載開始(84年十二月三十一日まで)。
1984年(昭和五十九年) 五十三歳
一月、「小松左京の世界展」を西武池袋にて開催。
三月、映画「さよならジュピター」公開される。科学万博−つくば85のパビリオン企画、イベント企画に参画。
十二月、日本未来学会「居住環境の未来−陸・海・空」開催。
1985年(昭和六十年) 五十四歳
三月、『首都消失(上・下)』を徳間書店より刊行。同作品で第六回日本SF大賞受賞。
五月、関西テレビ三十周年記念海外取材番組「河と文明」シリーズ(黄河・ボルガ・ミシシッピー。87年まで)の構成、取材、出演。八月まで黄河の取材。
十一月、『黄河』を産経新聞に連載開始(86年四月まで)。大阪府と上海友好都市五周年記念クロスオーバーショーの企画・構成。シンセ、レーザー、ロボットを持っていく。
1986年(昭和六十一年) 五十五歳
二月、「虚無回廊」を『SFアドベンチャー』に連載開始(87年三月中断)。
六月、『黄河』を徳間書店から刊行、八月までボルガの取材。
十一月、『ボルガ』を産経新聞に連載開始(八七年四月まで)。
1987年(昭和六十二年) 五十六歳
一月、映画「首都消失」公開される。
三月、『時也空地球道行』を「週刊読売」に連載開始(十一月まで)。
六月から八月までミシシッピーを取材。
七月、『ボルガ大紀行』を徳間書店から刊行。
十一月、『虚無回廊(T・U)』を徳間書店より刊行。九〇年に大阪で開催される国際花と緑の博覧会(花博)での国際シンポジウム総合プロデューサーとして、開催年まで全四回のシンポジウムの企画・構成を担当する。第一回目は「花とひと」。『ミシシッピー』を産経新聞に連載開始(88年三月中断)。
1988年(昭和六十三年) 五十七歳
二・三月、OSK日本歌劇団が「果しなき流れの果に」を上演。
四月、『時也空地球道行』を読売新聞社より刊行、「奈良シルクロード博」開会式で上海と双方向ミュージカル公演。
八月、大阪で「おじいさんの木を探そう」探検隊結成。
九月、母、ゑい死去(八十五歳)。
十二月、東京にて第二回花博国際シンポジウム「みどりと都市」。
1989年(平成元年) 五十八歳
十一月、第三回花博国際シンポジウム「バイオと未来」。
1990年(平成二年) 五十九歳
一月、徳間書店から『狐と宇宙人』を刊行。
四月、いんなあとりっぷ社から『自然の魂の発見』を刊行。花博開催。
五月、花博会場全体を舞台にランドスケープ・オペラ「ガイア」公演。
九月、第四回花博国際シンポジウム「植物と地球」。四年間の締めくくりとして「提言」を発表。
十月、第一回「大阪咲かそ」シンポジウム開催(94年まで五回プロデュース)。
大阪文化賞受賞。
1991年(平成三年) 六十歳
一月、小松左京還暦記念シンポジウムin白浜「宇宙・生命・知性をかんがえる」開催。この成果は翌年、『宇宙・生命・知性の最前線』として講談社より出版される。
二月、父・英次郎死去(九十一歳)。
八月、BS−3b打ち上げ特番「宇宙へのミッション」(WOWOW)、企画・出演。
十月、第二回「大阪咲かそ」シンポジウム開催。
『SFアドベンチャー』十二月号に「虚無回廊」連載再開(同誌が季刊になった事により、92年秋季号で再び中断)。
1992年(平成四年) 六十一歳
十月、第三回「大阪咲かそ」シンポジウム開催。
十一月、ネスコより『鳥と人』を刊行、二十年ぶりの書き下ろし。株式会社イオの十周年を期に、相談役となる。
1993年(平成五年) 六十二歳
二月、出版芸術社から『石』(夜が明けたら/空飛ぶ窓/海の森/ツウ・ペア/真夜中の視聴者/葎生の宿/秘密(タプ)/石/黄色い泉/くだんのはは/保護鳥/凶暴な口/比丘尼の死/ハイネックの女/牛の首)を刊行。
三月に同文書院から刊行されたA・C・クラーク『地球村{グローバル・ビレッジ}の彼方』の監修をつとめる。
四月から大阪産経新聞に『こちら関西』を連載開始(九四年三月まで)。
五月、雑誌「バート」の依頼でカナダ・ドラムヘラーへ恐竜取材旅行。
七月、中経出版から『小松左京が語る「出合い」のいい話』を刊行。
九月、岩波書店から同時代ライブラリーとして『にっぽん料理大全』(増補版)刊行。
十一月、勁文社から女シリーズをまとめた『旅する女』(昔の女/待つ女/湖畔の女/歌う女/秋の女/旅する女/流れる女/無口な女)を刊行。新潮社からデジタルブック(NEC対応フロッピィディスク)『地には平和を』刊行。
十二月、文庫オリジナル版の『わたしの大阪』を中公文庫から刊行。
1994年(平成六年) 六十三歳
一月、新潮社からデジタルブック『日本アパッチ族』を、二月にデジタルブック『影が重なる時』を各々刊行。
六月、文藝春秋から『こちら関西』を、同月、廣済堂出版から万博・花博に関するエッセイ集『巨大プロジェクト動く』を各々刊行。同月、大阪産経新聞に『こちら関西〈戦後編〉』を連載開始(九五年三月まで)。
十二月、DHCから評論集『ユートピアの終焉』(ユートピアの終焉/終末観と未来のイメージ/科学とイメージ/科学と虚構/月開発時代と日本の立場)を刊行。
1995年(平成七年) 六十四歳
三月、廣済堂出版から芸道もののアンソロジー『芸道艶舞恋譚』(明烏/鷺娘/戻橋/山姥譚)を刊行、五月『芸道綾錦夢譚』(蚊帳の外/高砂幻戯/天神山縁糸苧環/乗合船夢幻通路)、七月『芸道夢幻綺譚』(あやつり心中/隆達小唄/小夜時雨/反魂鏡)の全三巻。
四月一日より毎日新聞にルポ「大震災'95」を連載開始(九六年三月三十一日まで)。
五月、光文社文庫で『日本沈没(上・下)』復刊。角川文庫から短編集『召集令状』刊行。講談社インターナショナルより『日本沈没』英語版刊行。
八月、ジャストシステムから各ジャンルの作品を網羅した選集『小松左京コレクション』全五巻の刊行はじまる。
十一月、勁文社からショートショート一九二篇を一冊にまとめた『小松左京ショートショート全集』刊行。
十二月、文藝春秋から『こちら関西〈戦後編〉』を刊行。
1996年(平成八年) 六十五歳
3月 『小松左京コレクション』第5巻目刊行。
    電子書店「パピレス」にて、作品販売開始。
5月 ピキエから『日本沈没』フランス語版刊行。
6月 『小松左京の大震災'95』毎日新聞社より刊行。
11月 双葉社文庫で『日本沈没(上・下)』刊行。青春出版社プレイブックスでSF的思考ガイド『未来からのウィンク』刊行。
12月 アスペクトノベルスで宇宙SF傑作選『BS6005に何が起こったか』刊行。
1997年(平成九年) 六十六歳
6月 光文社より『SFへの遺言』刊行。
12月 ハルキ文庫で『果しなき流れの果に』刊行。SFマガジン500号記念特大号パートUでオールタイムベストSF長編部門第一位に『果しなき〜』が、短編部門一位に『ゴルディアスの結び目』が選ばれる。
1998年(平成十年) 六十七歳
1月 ハルキ文庫で『復活の日』刊行。
2月 ハルキ文庫で『継ぐのは誰か』刊行。
3月 ハルキ文庫で『エスパイ』刊行。
4月 ハルキ文庫で四部作『ゴルディアスの結び目』刊行。
5月 ハルキ文庫で『首都消失(上・下)』刊行。
6月 白内障手術(関西医大洛西病院にて)
8月 ハルキ文庫で『見知らぬ明日』刊行。
9月 ケイブンシャ文庫で『ショートショー全集』@刊行。
10月 同 A刊行。ハルキ文庫で『こちらニッポン・・・』刊行。
11月 同 B刊行。ハルキ文庫で宇宙SF10編収録『結晶星団』刊行。
12月 ハルキ文庫で時間SF11編収録『時の顔』刊行。
1999年(平成十一年) 六十八歳
1月 ハルキ文庫で本格SF12編収録『物体O』刊行。
2月 ハルキ文庫でユーモアSF22編収録『日本売ります』刊行。
3月 ハルキ文庫でSFミステリー10編収録『男を探せ』刊行。
5月 ハルキ文庫で『さよならジュピター(上・下)』刊行。
7月 ケイブンシャ文庫で『時空道中膝栗毛(前・後)』刊行。
8月 光文社文庫で『日本アパッチ族』刊行。
9月 東京書籍から『紀元3000年へ挑む科学・技術・人・知性』刊行。ハルキ文庫で妖しの女シリーズ11編収録『くだんのはは』刊行。
10月 ハルキ文庫で叙情SF13編収録『高砂幻戯』刊行。
11月 ハルキ文庫で恐怖SF16編収録『夜が明けたら』刊行。
2000年(平成十二年) 六十九歳
1月 ハルキ文庫で『明日泥棒』刊行。オンデマンド版で『小松左京全集』刊行開始。
2月 ハルキ文庫で『ゴエモンのニッポン日記』刊行。
5月 ハルキ文庫で『虚無回廊』T・U刊行。
7月 角川春樹事務所から『虚無回廊』V刊行。文春Web文庫より短篇集『アメリカの壁』販売。
8月 文春Web文庫より短篇集『空飛ぶ窓』販売。
10月 ハルキ文庫で『題未定』刊行。徳間web書店より『さよならジュピター』販売。文春Web文庫より短篇集『夜が明けたら』販売。
11月 徳間web書店より短篇集『飢えなかった男』配信。徳間書店から高千穂遙・鹿野司との共著『教養』刊行。
2001年(平成十三年) 七十歳
1月 徳間web書店より『神への長い道』販売。同人誌『小松左京マガジン』創刊。
2月21日 田中光二の還暦と一緒に古希を祝う会、自宅と会場(九段会館)を家庭用テレビ電話で結び、遠隔参加。
4月 中央論新社より『威風堂々うかれ昭和史』刊行。「日本沈没」テレビ映画版のDVD全9巻、アミューズピクチャーズから発売開始。(〜6月)
8月 第40回日本SF大会SF2001で名誉実行委員長。(幕張メッセ)
 
2002年(平成十四年) 七十一歳
1月 小学館より『幻のモリ・ミノル漫画全集』刊行。出版パーティを東京會舘でおこなう。講談社学術文庫大文字版で『学問の世界ー碩学に聞くー』刊行。
3月 二見書房より高橋桐矢との共著『安倍晴明ー天人相関の巻ー』刊行。