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 平成17年さつき(5月)23日

 京都大学の卒業生が母校のために広報活動として出演する「未来フォーラム」という、毎月時計台ホールでやっている無料の講演会で「私の京大時代」というタイトルで話す。
コマケンの澤田くんが私の三高から京大時代の出来事を年表と映像で用意してくれ、やはり京大卒業生の大中ちゃんといっしょに司会進行役をやってくれたので、私も安心して楽しく話をすることができた。
 時計台は3年前に立て替えたそうで、すっかりキレイになってサロンやレストランも出来ていたが、なにしろ建物全体が禁煙というのだから、困った。非常口を開けて、そとにある灰皿の側に椅子を置いてもらって、ニコチンを供給した。質疑応答も入れて1時間半は、なんとかもたせたが、終了後は外のカフェテラスでのどを潤す。ライトアップされた時計台を見ながらの、なかなか洒落たカフェだ。夕方の雨が本番には上がって、きれいな月夜だった。

 平成17年皐月(5月)21日

 御殿場の山田先生(自然治療医学研究所)に、最後のチェックをしてもらいに行く。
アイシングと高周波・中周波治療によって、脊柱管狭窄症は完全に直ったようだ。あとは、リハビリに散歩するよういわれる。
 はるばる御殿場まで通ったご褒美に、奥さんがやっている酒屋さんから特別なお酒「千歳鶴」をもらった。
帰りの新幹線で飲んでしまわないよう、鬼秘書が事務所へ持って帰ってしまったが・・・。
 いや、これでホッとした。あとは、この先転ばないように気をつけること、そのために飲み過ぎないこと! と鬼から念を押される。
ハイハイ、わかりました。

 平成17年さつき(5月)19日

 日本橋劇場でグローバルシアター和の輪が公演する一人芝居「心中天網島」の前座で、「近松の世界」について講演する。大阪文化祭奨励賞をもらったので、そのお祝いだ。
日本橋蛎殻町という場所は、おふくろが人形町の鼈甲問屋の箱入り娘だったので懐かしい所だ。昼の部と夜の部と二回も話をさせられたが、なかなか楽しかった。
 楽屋の喫煙コーナーに座っていると、大道具のスタッフや91歳の人間国宝さん(太棹三味線・鶴澤友路師匠)、女義太夫語りさん(竹本初美太夫)などが通り、いろいろな人が相手になってくれる。
昼の部の話を終わった後、芝居を見た。去年ワッハホールで見たときよりも、ずっとよくなっていた。前に座っていた山川静夫さんも、段切れごとに拍手をしてくれ終わったら「素晴らしかったですね」をいってくれた。
 うちの鬼秘書が入れ込んでいて、ちょっと面白くなく感じたこともあるが、納得した。これからは私も入れ込むぞ!

 平成17年皐月(5月)18日

 新横浜から慶應大学の研究室へ直行。リチウムイオン電池を使った電気自動車「エリーカ」の取材へ行く。
とにかく時速370キロを出したスーパーカーだ。詳しくは「小松左京マガジン」第19巻で報告するが、実際に乗ってGを体験してください、というので乗せてもらい、直線で急加速すると、確かに身体にぐーんとGを感じた。鬼秘書は、度胸があるので、その後自分で運転していた。まったく怖いもの知らずだ。

 平成17年さつき(5月)8日

 吹田市立博物館で「足とはきもの展」という特別展を4月23日から6月5日までやる、というので、縄文人の小山(修三)館長から講演会のゲストに出てくれと頼まれ、この日は日曜日だが、いつも第二金曜日にやっているフロンティア3000研究会をこの日に持ってきて、動員をかけた。
 なにしろ吹田市というのは万博会場だったのだから、民博があったりメイシアターがあったり文化的な町なのだが、こんな立派な博物館があることすらあまり知られていないということで、小山が館長になったからには、入場者数を一桁増やす意気込みで、誰も彼も引っ張り込んで協力せざるを得ない。
「絵巻にあらわれたはきもの」というテーマで学芸員の女性がレポートし、その後、学芸員を交えながら私と小山とのトークで「義経は何を履いていたか」という話をした。
私は専門家ではないので、よくわからないが、絵巻物で見ると子供は裸足が多く、用途にとってはきものを替えていたことがわかる。便所用の下駄とか、田植え用の下駄とか、「あしなか」という半草鞋は兵士など活発に動き回るものが履いていたらしい。織田信長もこれを愛用していたそうだから、彼の性格がしれる。
 コマケンや機本君も来てくれ、聴衆が2階の講座室一杯になったので、とりあえずは義理を果たせてよかった。
終わった後は、茨木にある石毛さんの研究室で懇親会。近くのイタリアレストラン「アラ・メゾン」からのケイタリング料理とお酒は石毛さんの豪華な所蔵品で、賑やかに打ち上げた。