平成12年ながつき(9月)25日

 この週末(23,24日)、久しぶりに家族総勢10名で、鳥羽に行って来た。私は、孫が4人もいる「じいさん」である。「おじいちゃま」と、小さな孫の口から呼ばれると、「はい、はい」と、まなじりさげて、口元がゆるんでくるのは、何ともだらしない限りだが、仕方ない。こんなに孫がかわいいと思うようになるとは思っていなかったが、現実なのである。

 平成12年ながつき(9月)18日

 宇宙物理学者の佐藤勝彦さんの研究室に電話して、「小松左京マガジン」創刊号での対談を依頼する。外国からお帰りになったばかりとのこと。お忙しいのに、快く引きうけてくださる。ありがたいことだ。「宇宙と文学」などと、べらぼうなテーマだが、私の永年のテーマなので、おつきあいいただく。まったく次々と宇宙の観察精度が上がって、いままで見えなかったものが見えてくると、これから先、どんなストーリーが展開されるのか、わくわくしてしまう。「虚無回廊」の続編がなかなか書けないのも、わかるでしょ。(なに、だからこそ早く読みたいって? ムムム……)


平成12年ながつき(9月)17日

 新潟県新発田市に防災フェスティバルで講演するため伊丹空港から行く。新発田市は新発田重家が上杉に破れたあと豊臣秀吉の家来、溝口秀勝が赴任しから明治維新まで、殿様が代わることなくつづいた城下町。自衛隊の駐屯地もあって、フェスティバルでは、ブラスバンドのパレードにも参加していた。東京都みたいに、戦車の行進はなかったけどね。蕗谷虹児さんの出身地で、ベネチア風のしゃれた美術館が文化会館の隣にできている。堀部安兵衛もこの街の出身で、家が断絶したので赤穂藩の堀部家に養子に入ったとのこと。
楽屋で出されたお茶とコーヒーがおいしくて、さすが城下町だね、と感じた。硬軟取り混ぜた、いい街でした。

 平成12年ながつき(9月)9日

 今日は重陽の節句。べーやん(米朝師匠)と紀一(福田紀一さん)に全日空ホテルで会い、「小松左京マガジン」の設立同人になってもらうことの確認と、これからどんなことをしたいのか、を話す。三人で話していると、話は自然に李白、杜甫、万葉、古今、歌舞伎、狂言、能と広がるが、それらが江戸時代には「落語」「講談」の話のなかに庶民の基礎教養として織り込まれていたんだよね、とあらためて「口碑文芸」の伝統に驚かされる。こんな事を、「小松左京マガジン」で取り上げたいわけ。狭義のSFだけじゃないのです。

 平成12年ながつき(9月)1日

 小松左京賞の選考を終え、ホッとしている。第一回の応募作品が一つも来ないのではないかと心配していたが、271編も来たと聞いて驚き、さらに5000枚とか1000枚を越える作品がたくさんあると聞いておびえ、どうなることかと思っていたが、最終選考に残った作品はどれも力作で、長さには閉口したが面白いので最後まで読ませる力のある作品ばかりだった。第一回小松左京賞受賞作品「エリ・エリ」の作者、平谷美樹さんは、岩手県の中学の美術の先生。私が20年前短い間だが教授をしていた大阪芸術大学出身。まさか僕の授業は聞いていないと思うけど、40才だから、少しはダブっているかも知れない。
 「小松左京マガジン」では、小松左京賞の受賞者にも書いてもらおうと思っているので、お楽しみに。


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